あなたにとって人生とは、辛く苦しいものでしょうか。
それとも楽しく喜びに満ちたものでしょうか。
私たちはわずか80余年という短い人生を、自分の責任に於いて全うしなければなりません。
しかし自分の責任として背負うには、あまりに大きく重い荷物でもあります。
人生とは取捨選択の連続であり、常に後悔を抱え続けるものだからです。
後悔などしたことがないという人物は、潔いのか、余程愚かで馬鹿なだけかもしれません。
「もしもあの時、こうしていれば」と人は誰しも戻らぬ時を悔いるものです。
人生とは、時とは、ひたすら最果てへ向かう一本道に過ぎません。
どれほどの富豪でも、天才でも、権力者でも、誰の上にも等しく時は過ぎ、決して引き返すことはできないのです。
後悔を捨てる為に
過ぎた時は決して戻ることはありませんが、しかし、今から始めることはできます。
それを「やり直し」と表現する人もいるかもしれませんが、英語で「やり直し」は「start over」といいます。
「初めからもう一度」というニュアンスが強いですね。
「今」始めた未来と「10年間」に始めた未来とでは、確かに違うでしょう。
しかし、だからといって始めることを放棄する理由にはならないはずです。
新たな選択が、自らの幸福へ繋がると確信しているのならば、今すぐに始めるべきでしょう。
私たちには、幸福になる義務がある
幸福を追求する者だけが、真の幸福に辿り着くことができるのだとするのならば、私たちは自分の幸福が何であるのかを生涯に渡り考え続けなければいけません。
新たな価値観に触れ、過去の己を恥じ悔いることもあるでしょう。
しかし、過去の自分を恥じたり悔いる必要はありません。
変えられない過去に捕らわれることほど、無駄なことはないからです。
ただ、今この瞬間から始めればいいだけです。
悔いたり恥じたりするのなら、その悔いや恥など消し飛ぶように歩き始めればいいのです。
変えられない過去に捕らわれるのではなく、より良い明日を迎える為に、この有限の時を使うべきです。
誰の為でもなく、自分の為に。
完全なる幸福は、自分の内にのみ存在している
完全なる幸福を求めるあなたは、誰かの為と思い込んでいる行為も想いも全てが自分の幸福へ繋がっていることを知る必要があります。
見返りを求めるのではなく、全ての行動は自分の幸福の為に起因しているのだと認めることができたとき、あなたは世間の天秤では測れない幸福へ到達できるでしょう。
世の中に溢れた「普通」の物差しや「常識」の枠を取っ払い、自分自身にとっての幸福を見つけることは、立派な学位を修めることよりずっと大変なことです。
完全な幸福を自分の内に見出した時、それは同時にあなたがこの宇宙でどうしようもなく孤独な存在だと認めざるを得ない瞬間でもあります。
人は誰しも、幸福になる為に生れてきました。
多くの障害を乗り越え、私たちはそれぞれの幸福を見つけなければいけません。
世間の評価に左右される相対的幸福ではなく、自分の内に価値付けた絶対的幸福を手にする為に、完全なる幸福を求めるあなたは孤独を恐れず、生きていかなければならないのです。