先日、匿名掲示板でこのようなトピックがありました。
「心って、どこにあると思いますか」
そこに集う人たちは、脳にある、泣きたい時に痛くなる場所にある、環境にある、言葉にある、と様々な興味深い書き込みをしています。
あなたは、「心」はどこにあると思いますか?
心って、どこにあるの?
心って、目には見えませんよね?
だけど、一つだけ見ることができる心があります。
それは、私たちが持っている、もう一つの目。
心の目です。
好きな人を思い浮かべて、「今どうしてるかなぁ」とか、「シチューにぶどうを入れたらどうなるだろう」とか。
目の前にはないことを想像することが、心の目です。
心の目を使えば、遠く離れた人のことも、ぶどうシチューのこともイメージすることができますよね。
心も、そうした想像(イメージ)の世界に存在しているのです。
心は非現実的で無限のもの
目は、視野にある現実のものしか映しません。
鼻も、実際に匂っているものしか感じません。
舌だって、カレーはカレーの味しかしませんよね。
すべて現実的な役割りをしているというわけです。
では、心はどうでしょうか?
現実的なことを頭に描きながらも、「彼、喜んでくれるかなぁ……」など、今現実にはない未来を想像することもできます。
心はそうした、今ここにはないものを映し出すことができます。
それに、身体能力には限界がありますが、心の能力には限界がありません。
イメージの世界はどこまでも無限大に広げることが可能です。
なぜかというと、目や鼻や鼻は現実に存在しているものなので、必然的にその能力働く範囲も決められているから。
でも心は、臓器のように現実には存在しません。
だから、どこでも自由に、そして無限大に動き回ることができるのです。
もし人間の心が目や臓器のように、限られた場所に、限られた大きさで存在しているとしたら、きっとイメージできる世界も限られたものになるのでしょう。
そうなれば、余計な苦痛を感じたり悲しむことはないかもしれません。
けれど、夢をみることも、人を愛することもなくなってしまうのかもしれません。
心はどこまでも遠くへ
目を閉じて、好きな人を想像してみてください。
あの人は今、どこで、何をしているだろう?
そうすると、今目の前にはいないはずの、その人の姿や、光景が浮かんできませんか?
それは心が自由に飛翔できるから、どこへでも行けるし、イメージだってどこまでも膨らませることができるということ。
心が元気なら、心はどこまでも自由に羽ばたき、広がっていきます。
それは、心が不元気だったりするときには、心も収縮してイメージが広がらず、視野の狭い状態になってしまうということ。
心が健全な状態でないと、「あの人は今何をしているかな」と思いを馳せる余裕もないし、心の広がりなど持てるはずがありません。
心は手で触れられるものではないだけに、とても難しいもの。
けれど、逆にとても自由なもの。
あなたらしい心を作り、育てていくことで、自分の心に愛着が持てるはずですよ。