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志村けんさん死去……。

近しい人ではないですが、幼い頃からテレビでずっとみていた方がコロナウィルスで亡くなってしまったと聞いてとても悲しくなりました。

そこで今回は改めて志村けんさんの事を調べてみようと思います。

成り立ち

1950220日、小学校教諭だった父・憲司(けんじ)と母・和子(かずこ)の三男として東京都北多摩郡東村山町(現:東京都東村山市)に生まれました。

本名は、志村 康徳(しむら やすのり)なお、芸名の「けん」は父親の名前から取ったものである。

幼い頃、父は厳格な人物で、彼の支配する家庭はいつも重苦しい雰囲気に包まれていたが、当時はまだ珍しかったテレビのお笑い番組で漫才や落語を観ていた時だけは、嫌な日常を忘れることが出来たという。

志村は、「その時だけは父も声を出して笑っていた」と語り、そのような体験から、お笑い芸人の世界に憧れを抱くようになり、中学生の頃から本格的にお笑いを仕事とすることを決心したそうです。

両親の方針で「お金がかからない都立に行け」との理由から、新設された東京都立久留米高等学校に進学し、同高の第1期生となる。

同高ではサッカー部に所属し、GKとして在籍した。

芸能界デビュー

19682月、高校卒業間際にいかりや長介の家へ直接押しかけ、弟子入りを志願。

由利徹やコント55号とザ・ドリフターズ(以下ドリフ)のいずれに弟子入りするか迷ったが、音楽性の面からドリフを選んだそう。

雪の降る中、いかりやの帰宅を12時間ほど待ち続けるも、門前払い同然の扱いで、容赦なく突き放されたが、それでも食い下がったため根性を買われ、「バンドボーイ」が辞めてメンバーに欠員が出たらという条件で仮採用されました。

いかりやは後に「帰宅すると勝手に居ただけで待っててくれと言った覚えはない」と語っています。

22歳の時に井山淳とお笑いコンビ・「マックボンボン」を結成し、「志村健」の芸名で芸能界デビュー。

10月には早くもコンビの名前を冠したテレビ番組『ぎんぎら!ボンボン!

志村はその後ドリフターズの付き人に戻ったが、戻った直後の197312月に「メンバー見習い」の扱いで、「志村けん」に改名した上でドリフに加入する。

1974331日をもって荒井注が脱退し、41日に正式にドリフのメンバーとなる。

加藤の推薦により若手の志村が起用された。当時、志村は24歳だったそうです。

有名なテレビ番組

  • 天才!志村どうぶつ園
  • 8時だョ!全員集合
  • 志村でナイト
  • 志村けんのだいじょうぶだぁ
  • 志村塾

番組のタイトル見るだけで、番組の内容がすぐに思い浮かびますよね。

まとめ

筆者の母はニュースを見て泣いていました><

悲しい気持ちと共にコロナウィルスに対して全国民が気をつけようという意識になったのではないでしょうか?

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